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ギタリスト  天野 丘 さん  (その1)

ユニークな(あるいはエキセントリックなと私が勝手に思っている)ジャズ・ギタリスト天野丘さんは、所沢を離れたことがないとのこと。地元のスタジオNaveでこれまたユニークなデュオ・ユニット「天高く」のライブのあとで、酒を酌み交わしながら、音楽遍歴とジャズのブルースとスウィングについて、きわめて生真面目に語ってもらった。── by ゴマッジョ

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≫≫ サックスを吹きたくてブラスバンドに ≪≪

ゴマッジョ(以下、ゴマ) ギターは中学生時代からと聞いていますが、音楽との出会いは?

天野 小学生のときに、アルトサックスが吹きたくて、ブラスバンドに入ったんです。当時、「太陽にほえろ」のテレビドラマが流行っていて、そのテーマソングのサックスの音にしびれちゃって。

ゴマ 小学校からブラスバンドがあったんだ。

天野 母校の清進小学校は音楽活動が盛んで、熱心な先生方もいたんです。5年のときに入ったけれど、アルトサックスは他の人がやっていて、仕方なくクラリネットをすることに。で、吹いてみたら結局好きになった。
 管楽器は「ワァー」と鳴って、ブラスバンドのサウンドが響きあって、「みんなでやるのはいいものだなー」って、はまっちゃった。
 それで、中学・高校とブラスバンドを続けることに。

ゴマ じゃあ、中学・高校もクラリネット。

天野 いや、中学生のときに、アルトサックスを買ってもらって。

ゴマ サックスにこだわりがあったんだ。

天野 そうです。吹きたかったです。
 そのころは、サックスでジャズをやるのがすごく流行っていて、渡辺貞夫なんかを聴くと、「かっこいいなー」って、「やりたいなー」って。
 だけど、やってる人から、「サックスでジャズをするのはとても大変だよ」と聞かされた。何が難しいかというと、管楽器はドレミがずれる特性があって、キーが変わると指が全部違ってくる。その点、ギターは同じフォームで弾ける楽器だから簡単だよと言われた。
 ブラスバンドでは、キーはどうだろうと譜面どおりにやればいいけど、ジャズはアドリブをやるのが醍醐味だから、そのためにはキーをずらさないといけない。しかし、それが大変。サックスは好きだけど…。で、ギターならと。
 当時はフォークが全盛で、ほとんどの男の子がギターをやっていた。中学に入ってギターを始めたけど、例のごとくFのコードでつまずいて、あまり触らなくなってた。
 しかし、高校2年のころにジャズが好きになったこともあって、ギターにはまりこんで、聴くだけじゃなく練習も一生懸命にやった。

ゴマ そのころから、ギターとジャズにはまっていったわけ?

天野 ジャズとの付き合いを振り返ると、高校生のときに、新所沢にあった楽器屋に通いだしたころが最初かな。毎日のように行って、そこの店員さんと親しくなり、たまにご飯を食べに行って話をしたり。
 そのころに知り合った一人が、ルーツ音楽院の澤田駿吾さんのお弟子で、「僕も行ってみたいなー」と話したら、「高校生も来てるよ」と言われ、「いつか行きたいな」と思ってた。
 で、大学に入ってからルーツ音楽院に行って、澤田さんに教わるようになった。僕の憧れの人で、すごくうまかった。今はなぜか弾いていないけれど。
 大学ではジャズ研に入り、ギターとジャズ一色。聴くのも好きで、ギターものは何でも聴いてた。たまに思い出したようにサックスを吹いたりしたけど。

ゴマ 音楽を職業にしようと思いだしたのはいつごろ?

天野 それはとっくの昔から思っていた。小学校の卒業文集に、「音楽家になる」と書いている。サックス奏者かどうかは別として、とにかくそう思っていた。その文集は、いまも実家に残っている。

ゴマ 小さいころからの志だったわけですね。しかし、実際に音楽で食えるようになるのはそう簡単じゃない。

天野 難しい。大学を出てすぐは、師匠のボーヤについていた。アルバイトをしながらボーヤをやって、親のスネをかじってギターを弾いて…。

ゴマ いまで言うフリーターだ。

天野 そうです。走りです。そんな言葉はなかったけど。

ゴマ 音楽で収入を得るようになったのはいつごろから?

天野 初めてライブをやってお金をもらったのは、26歳のとき。自分のバンドを組んで、千葉の市川にトラッシュという古いお店があって、そこでライブを始めた。なぜか市川に縁があって、そこでいろんな人と知り合って、ピットインに出てるミュージシャンとも仲良くなった。
 そんなミュージシャンが好きで、自分もピットインでやれれば本望と思っていた。あとで実際にそうなりましたけど。

ゴマ その後は順調に?

天野 いや、そうはならない。ライブをやってメシを食おうなんて思っていたが、実際には大変だなとわかった。僕の師匠だって学校の先生をやって収入を得ている。現実の厳しさに気がついたけれど、もうどっぷりつかっているからどうしようもない。
 ところが、結婚をしようと思う女性がいて、ちゃんと仕事をしなければと、サラリーマン生活を始めることになった。で、音楽から離れることに。

ゴマ ギタリスト天野は消滅?

天野 僕は、運とか運命とかはあんまり信じるほうじゃないけれど、思い起こしてみると、ピンポイントでちゃんとある。

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≫≫ 一転して音楽教師に ≪≪

天野 ビルのメンテナンスの会社にアルバイトで入り、あとで正社員になった。ところが、サラリーマンになるきっかけとなった女性と別れることになった。今の仕事は好きじゃないし、やはり、サラリーマンは向かない。これからどうしようかと考えても、何も思いつかない。
 そんなとき、ビルのメンテをしているところに、友人が通りかかった。その友人は、大学生のときに新所沢のハリウッドレコードでアルバイトをしていた仲間で、「天野さん、何やってんの? 音楽は?」と話しかけてきた。
「いやー、ライブも音楽もやってないよ」と答えると、「オレ、いま日本工学院に勤めているんだけど、もうすぐ一人辞めるから、来ないか」と、意外な話になったんです。「音楽を続けろ」と思ってくれたんですね。

ゴマ 学校の先生?

天野 そう。最初は、「無理だよ、先生なんてできないと思うよ」と言った。だけど、「大丈夫だよ、とにかく話だけでも」と熱心に誘ってくれる。そこで、「いつ決めればいいの」と訊いたら、「いま、決めろ」と言う。「えー! 行くとしても、いつから?」と訊くと、「4月から」という話。
 勤めていた会社は、あと3か月過ぎて5月になれば退職金が出る。「5月からじゃダメか」と言っても、「学校だから、4月からでないと」とのこと。「じゃあ、わかった」と、急転直下に話が決まってしまった。

ゴマ ギタリスト天野の復活! 音楽の先生に。

天野 なりました。だけど、ギター科は無くて、コンピュータ・ミュージック科というのがあった。それが気になって、「何をすればいいの?」と訊いたら、「ギターは教えなくていい。音楽の内容を教えれば」ということで、理論系の授業を受け持つことになったんです。音楽理論は、3年くらい通ったルーツ音楽院で基礎を身につけた。

ゴマ 教師生活とともに、音楽との付き合いがまた始まったんですね。

天野 そうです。急に。学校では空き時間がけっこうある。合間合間で練習ができるし、夜のライブも再開できる。もうそっちに戻るしかない。もともと、内心では戻りたいと思っていたわけだから。
 そんなときに、「先生にならないか」と、声がかかった。

ゴマ 中学から始めたギターは、最初はアコースティック?

天野 そうです、フォーク・ギター。エレキは高1のときに自分で買った。そのころはロック・バンドが流行っていてみんな聴いていた。もちろん、僕も。だから、エレキを通らない人はほとんどいなかったんじゃないかな。

ゴマ ギターの魅力は? と訊かれたら。

天野 それはあんまり語るべきものじゃないと思っている。僕がかかわってきたのが、ギターがメインなんで、それを使って音楽をするのであれば何でもいいという気持ち。

ゴマ ツール、道具だと。

天野 そう。僕ができるのはギターだけなんで、他には何もないし、ギターが好きだからズゥーとやってきた。でもやっぱり、ツールであることには変わりがない。表現の。

ゴマ 音楽はメッセージなわけだから。そのツール。

天野 そう考えてるから、ギターの魅力はと訊かれても、なにがいいのか自分でもよくわからない。ただ、好きだからと…。

ゴマ じゃあ、ジャズの魅力は?

天野 言い古されてきたことだけど、とにかくスウィングしていること、そしてブルージーである、ブルースがあるということ。それがない音楽は、僕はダメなんだよね。

ゴマ ジャズ以外はあまり興味がない?

天野 ジャズが最たるもので、僕が求めているものがすべてある。じゃあ、ロックは? と訊かれたら、昔のロックはすべてブルージーだろうね。ブルースに関係のないロックは昔はなかった。だから、僕のなかでは、ジャズとロックの境目はないんだね。
 たとえば、サミー・デービスJrは自分のことをジャズ・シンガーじゃないというけれど、自然に歌うと結局ジャズになってる。お得な世代というか。

ゴマ ちょっと休憩して、後半は、私のお聞きしたいと思っているジャズ理論と、天野ワールドについて突っ込んでみたいと思います。(2011.5.21取材)