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音楽と私 Backnumber

「私の音楽履歴書」(第3回) 阿部美穂 さん
「私の音楽履歴書」(第2回) 阿部美穂 さん
「私の音楽履歴書」(第1回) 阿部美穂 さん
シャンソンの魅力にふれて  田辺慶一 さん
「アメリカンミュージックとともに」  ロイ 田沢 さん
「アロハに惚れて」  中野 彰 さん
演歌「夜空」からクラシックまで(その3)  坂井 誠 さん
演歌「夜空」からクラシックまで(その2)  坂井 誠 さん
演歌「夜空」からクラシックまで(その1)  坂井 誠 さん
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「ロックとの出会いと作曲」  吉乃黄櫻 さん
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「航空公園ジャズバンドの夢」 原宿眞智寿 さん
“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第三部) 山田一雄 さん
“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第二部) 山田一雄 さん
“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第一部) 山田一雄 さん
「津軽三味線を生涯の友に」  畑中裕生 さん
「雨の日のビル・エヴァンス…」  須藤麻季 さん
「ブラームスと間奏曲」  中川奈緒美 さん
『とこぴあ』と私の還暦ピアノビギナー練習法        大勝こうじろう さん

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私と音楽

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中條さん「私と音楽」.jpg

「シャンソンとの出会い」  中條 進 さん

【中條進(なかじょうすすむ)さんプロフィール】
1936年・子年生れ。血液型AB型。
大学職員を定年退職後、2004年にシャンソン歌手・増村うらら先生の教室に入る。
新所沢駅東口のライブ・スタジオ「ネイヴ」で毎月第4水曜日に開催されている「うらら&モン・プティの仲間達」のシャンソン・コンサートにレギュラー出演。

写真:「ネイヴ」で歌う中條進さん(ピアノ伴奏=尾形隆次)

♪♪ 大学の授業でシャンソンを歌う先生 ♪♪

 生来の音痴で、小学校の時から音楽の授業が不得手だった私がシャンソンと初めて出会ったのは、大学生になってからでした。
 大学では英語の他にドイツ語かフランス語のいずれかを選択して学ぶことが決りでした。私は音楽好きではなかったけれど映画は大好きでした。そして昭和30年の頃、洋画といえばアメリカ映画かフランス映画が主流で、ドイツ映画を見ることは余りありませんでした。そんな関係でフランス語やフランス文化により親しみを感じていて、迷わずフランス語を選択していました。
 そのフランス語の授業中、先生が私達学生の要望に応えて時々シャンソンを歌ってくれたのです。日本人の男の先生でしたが、学生の間ではシャンソンを歌ってきかせてくれるというので評判でした。
 すべて原語で意味は分かりませんでしたが、唯一“枯葉”という曲だけは当時の様子とともに今も思い出されます。
 銀座7丁目に「銀巴里」というシャンソン喫茶があって、コーヒー一杯で粘ってシャンソンを何曲も聞けると教えてくれたのもこのフランス語の先生でした。

♪♪ 時を経て自らシャンソンとの再会を ♪♪

 当時「銀巴里」には“美少年”、“シスターボーイ”と評された丸山明宏(=美輪明宏)が、「メケ・メケ」でヒットをとばし、一世を風靡していました。その他に戸川昌子、金子由香利も出ていた筈ですが、あまり覚えていません。
 特異なファッションに身を包み、艶麗な容貌でシャンソンを歌い上げる丸山明宏を目の当たりにしてカルチャーショックを受けた気さえしました。
 「銀巴里」以外にも新宿コマの映画街の一角に当時あった「新宿コンサートホール」に「原孝太郎と東京六重奏団」の演奏をよく聞きにいきました。
 以上が私の初めてのシャンソンとの出会いでした。
 そして次にシャンソンと出会ったのは定年退職して数年後、新所沢パルコのカルチャースクールにあった増村うらら先生のシャンソン教室に入門したからです。
 この間、実に45~6年の空白があるのですが、この度は自分の意思で、自分で探し求めた結果なので、自らシャンソンに出会いに行ったと言えます。