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音楽と私 Backnumber

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「私の音楽履歴書」(第2回) 阿部美穂 さん
「私の音楽履歴書」(第1回) 阿部美穂 さん
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“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第三部) 山田一雄 さん
“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第二部) 山田一雄 さん
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「雨の日のビル・エヴァンス…」  須藤麻季 さん
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『とこぴあ』と私の還暦ピアノビギナー練習法        大勝こうじろう さん
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私と音楽

音楽と私

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“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第一部) 山田一雄 さん

【 山田一雄(やまだかずお)さんのコメント】
私は団塊世代の一期生である。東京都大田区から所沢市に移住して10年近くになる。
子供のころから種々の楽器で遊んでいた。
少しは先生について習ったが、殆ど自己流である。
ギターは長く触っている。
いま、多少の楽器が手元にあるが、時々磨いている程度である。
(写真上:時々古いギターを磨いている私)

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♪♪ ラジオ少年、音楽に感電 ♪♪

 小学校の頃、我が家にテレビは無かったが、並四ラヂヲがあった。私は“ラヂヲ”と書いた方が好きだが、読者の為にラジオと書く。
 並四というのは真空管を4本使用した家庭用の普通のラジオであり、五球スーパー(正確にはスーパー・ヘテロダイン方式)と呼ばれていたラジオは感度が良く、高級品である。この頃のラジオの音とSPレコードが私の音に対する趣向に影響を与えたと思う。

・写真左1:所有しているアンティーク真空管ラジオ(イメージとして)

 その頃、私にとってラジオが一番の楽しみであった。今で言うコンテンツ(番組)とハードウエア(ラジオの構造)の両方に対してであった。夕方は文化放送、帆足まりこ女史のS盤アワーのテーマ曲、ラテンとポピュラー音楽が楽しみであった。
 写真のS盤とはSPレコードである。SPはシングルプレーでS盤のSはスペシャルの意味もある。そのほかL盤(コロムビア)、P盤(ポリドール)というのもあったそうだ。
 家の押入れの天袋(最上段)に大量のSPレコードがあった。誰の持ち物か不明であり、誰も気にしていなかった。その頃、家には工場勤めらしき下宿の人が2、3人住んでいたのでその人達の持ち物だったかもしれないし、道楽人だった祖父の持ち物だったかも知れない。
 その中の1枚は乃木希典将軍の音声『わたくしは のぎまれすけ であります』が入っていたように記憶している。結局、好きな音源がないので、それらのSPレコードを隅田川に向かってフリスビーの様に投げ捨ててしまった。
 SPレコードを愛する者としては、大変に後悔している。

・写真左2:日本ビクターのS盤(マリリン・モンローの帰らざる河/心寂しのブルース)
・写真左3:デッカ盤(ビング・クロスビーのホワイト・クリスマス/ジングルベルス)
・写真左4:日本ビクターのS盤(ツー・ユー・ユー/セシボン)
・左5:日本ビクターのS盤(ウェディング・ベルが盗まれた/ウシカダラ―トルコ譚) 

 父親の趣味の影響で私はラジオ少年であった。鉱石ラジオ、真空管ラジオを組み立てて、大音量で鳴らしたりアンテナを張り巡らせたりして家人に迷惑をかけた。何回か感電して死にそうになった事もあった。
 雑誌“初歩のラジオ”の泉ひろし氏の記事を見て作った鉱石ラジオは良く聞こえた。もっぱら音楽番組が好きで、ヘッドフォーンでこっそり夜中に聞いていた。
 その頃のヘッドフォーンは現在の物と違ってイヤーパッドが無く、電話の受話器の様な堅いレシーバをヘッドバンドに相当する板ばねで耳に当てるので長時間使用すると耳が痺れてくる代物であった。これは父親のお下がりであったが何年間か愛用した。後に小さなクリスタル・イヤフォンを入手し、耳が楽になった。

 前後するが、FEN(Far East Network)でカントリーやポップスを聞いていた。ロイ・ジェームスの電話リクエストを聞いて当時流行の映画音楽やロックが好きになった。十円玉を握りしめ、公衆電話からエルビス・プレスリーのハウンド・ドックをリクエストした事がある。
 中学時代の愛読書はミュージックライフ誌であり、評論家の湯川れいこ女史のファンであった。

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♪♪ 昼飯を抜いてエレキを買う ♪♪

 この頃の中学生の頃、友達の影響でウクレレを購入した。教習本に付いていたソノシートに合わせてコードを弾いた。音が合った時の気持ち良い感じが今でも忘れられない。
 その後、安物のスチール弦が張ってあるギターを購入した。弦とフレットの間隔が広くて指先から血が滲んで辛かった。最初に弾いた曲は演歌の伴奏である。後にアルバイトの時に役立った。

 ジャズの雰囲気のするSPレコードと出会ったのもこの頃であり、サムテーラーのハーレム・ノクターンを電蓄で聞き、エコーの効いたテナーサックスの音に痺れた。ジョー・スタッフォードのエコーの効いた霧のロンドン・ブリッジも好きだった。

・写真右1:隅田川の土手で中学の同窓生と

高校時代と音楽:
 その後、グヤトーンのエレキ(多分モデルはLG-65Tだったと思うが、バンドの写真を参照)を月賦で買った。赤羽駅近くに大丸百貨店という店があって、多分1万2千円位だったと思うが、両親に内緒で毎月千円位の月賦で購入した。
 家人に見つからないように月末には郵便受けの前に立って請求書を待っていた。昼を抜いたりして節約して何とか遅滞なく全額を払い終えた時は安堵した。

 グヤトーンは指が全く痛くならなかた。たぶん安物のギターで指が鍛えられたのだと思う。トレモロアームは使い過ぎてすぐにガタガタになったので、取り外して使わなくなった。
 当時の国産エレキとアンプと言えばテスコとグヤトーンが競争していた時代であった。

 小遣いが少ないので中古のラジオを改造してギターアンプにした。友人から依頼されて何台か、まともなアンプも何台か製作した。半田付やシャーシの穴あけも上達した。このことは現在の仕事に役立っているかも知れない。

・写真右2:近所のバンドの人達と三河島の音楽教室で

注:写真と被写体は全て本人が所有している物です。