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音楽と私 Backnumber

「私の音楽履歴書」(第3回) 阿部美穂 さん
「私の音楽履歴書」(第2回) 阿部美穂 さん
「私の音楽履歴書」(第1回) 阿部美穂 さん
シャンソンの魅力にふれて  田辺慶一 さん
「アメリカンミュージックとともに」  ロイ 田沢 さん
「アロハに惚れて」  中野 彰 さん
演歌「夜空」からクラシックまで(その3)  坂井 誠 さん
演歌「夜空」からクラシックまで(その1)  坂井 誠 さん
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「ロックとの出会いと作曲」  吉乃黄櫻 さん
「オカリナの町ところざわ」を夢見て10年!  岡本詔一郎 さん
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「航空公園ジャズバンドの夢」 原宿眞智寿 さん
“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第三部) 山田一雄 さん
“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第二部) 山田一雄 さん
“ラヂヲ”から始まった音楽放浪記(第一部) 山田一雄 さん
「津軽三味線を生涯の友に」  畑中裕生 さん
「雨の日のビル・エヴァンス…」  須藤麻季 さん
「ブラームスと間奏曲」  中川奈緒美 さん
『とこぴあ』と私の還暦ピアノビギナー練習法        大勝こうじろう さん
「シャンソンとの出会い」  中條 進 さん

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私と音楽

音楽と私

上の写真.jpg

演歌「夜空」からクラシックまで(その2)  坂井 誠 さん

【 坂井 誠(さかい まこと)さんのブロフィール】
1966年東京都生まれ(ビートルズが来日した年)
所沢市育ち
所沢市内の小・中・高を卒業後、
早稲田大学政治経済学部に進学・卒業

その2(サザンのコピバン) - コピー.jpg

♪♪ サザンオールスターズとの出逢い ♪♪

 現在では国民的バンドとなったサザンオールスターズですが、デビュー当初はコミックバンドと評価されることもあったようです。
 それは1978年6月25日発売のデビュー曲、「勝手にシンドバッド」のメロディー、歌詞、曲名、桑田佳祐さんの歌唱、タンクトップにジョギングパンツのコスチューム、すべてが時代の1歩も2歩も先を行っていたことで(時代の半歩先を行くのがPOPSやROCKで売れる条件と言われますね。桑田さんのソロ名義の新曲「ヨシ子さん」も相当に個性的で、時代の先を行っていると思います)、サザンオールスターズのすごさが世間には理解不能だった側面があったからだったからかもしれません。
「勝手にシンドバッド」という曲名は、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」とピンクレディーさんの「渚のシンドバッド」という前年に大ヒットした2曲の曲名のハイブリッドでした。日本中がこのハイブリッドは桑田さんの考案したものだとばかり思っていましたが、なんと志村けんさんが作ったものだったそうです。2016年6月17日の「ミュージックステーション」で桑田さん自らそうおっしゃっていました。
 このエピソードには日本中が驚いたのではないでしょうか。だからといって、「勝手にシンドバッド」の輝きが色褪せることはないでしょう。ちなみに歌詞には「勝手に」も「シンドバッド」も一切出てきません(笑)。
 またコスチュームは事務所から1人1万円を支給されて、原宿界隈で探したそうですが、上下、靴を揃えようとするとどうしても足りない。困り果てていたところ、とあるスポーツ用品店のオヤジさんが1人1万円でコスチュームを見立ててくれたそうです。
 また、印象的な曲の冒頭部「ラララララララララ♫」はディレクター?の方が「ラララララララララ♫で行こう!」ということで、レコーディングの際にアレンジを変更したと聞いています。

 初めてサザンオールスターズを視たのは「夜のヒットスタジオ」か、伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」の「スポットライト」のコーナーだったように記憶しています。
「スポットライト」のコーナーは、まだ上位10位以内には入っていないのだけれども、これから期待される若手を抜擢するコーナーでした。確か、ライブハウス「新宿ロフト」からの中継での演奏でした。
 まさに目が点。「なんじゃこりゃあ」(by松田優作さん)状態。よく分からないがすごいバンドが出てきたぞ!。
 演奏後、司会の黒柳徹子さんから「あなた方はアーチストを目指してらっしゃるの?」と問われた桑田さんは「ただの目立ちたがりの芸人で~す!」とお答えになりましたね(台本があったらしいですが)。
 翌日の学校では、サザンオールスターズはコミックバンドなのか、超すごいバンドなのか喧々諤々(けんけんがくがく)、大論争が巻き起こりました(小6でしたけど大論)。それは、2曲目の「気分次第で責めないで」が発表されても収まることはありませんでした。

 そして、ついにというべきか3曲目のバラード「いとしのエリー」が発表されるにいたり、超すごいバンドという評価が定着しました。事務所サイドとしては3曲目もノリのよい曲で行こうという方針だったらしいです。「いいか、この業界はな、3の法則があるんだ。1曲売れたら3連続同じテイストの曲で勝負するのがセオリーだ! もう一丁ノリのいい曲でいってみよう!」。桑田さんは丁重にお断りしてバラード「いとしのエリー」をリリースしました。ちなみに、サザンオールスターズのベストアルバムでしばしば用いられる「バラッド」というタイトルは、いわゆるラブソングを指すバラードではなく、民族音楽という意味だそうです。
 

♪♪ コピーバンドでヴォ―カルを務める ♪♪

 サザンオールスターズのライブに初めて行ったのは高校1年生の西武球場でのフェスでした。トリを務めたのはサザンオールスターズでしたが、その1組前のハウンドドッグの大友康平さんが演奏後、「2年連続で(サザンオールスターズの)前座を務めさせていただいたハウンドドッグでした~」とおっしゃったのを今でもなぜか覚えていますね。
 ハウンドドッグも盛り上がっていたので、大友さん流のジョークだったのかもしれません。生サザンは最高でした。通算で10回ぐらいサザンのライブには行きましたかね。応募したのは30回ぐらいですけど。倍率が高くてなかなかチケットが手に入りません。

 高校2年の時に「サザンのコピバンやらない?ヴォーカルで」という話をもちかけられ、即「やる!」と答えました。まだ、カラオケもなかった時代ではないでしょうか。生バンドをバックにサザンの曲を歌えるなんて夢のようだ。
 というわけで、初練習へ。う~ん。とてもスローリーな演奏である。「勝手にシンドバッド」もまるでバラードのようだ。そして私の歌唱もかなりドイヒーである(汗)。そんなわけで、3ケ月ほどで解散しました。

 サザンオールスターズについては、思い出や思い入れ、豆知識が私の中にあふれかえっていまして、全部書こうとしたら500ページぐらいになってしまいそうなので、このあたりでやめておきます。

[ビートルズを始めとする洋楽との出逢い]
 中学校2年生の時の英語の先生が、授業を始める前に毎回「英語の歌」コーナーを設けて、ビートルズの「Yesterday」、「Let it be」、「Hey Jude」、「The long and winding road」、カーペンターズの「Yesterday once more」、アバの「Dancing Queen」、サイモン&ガーファンクルの「Sound of Silence」、パティ・ペイジの「Tennesse Waltz」などを合唱させてくれました。あの時間は洋楽に触れたり、英語が好きになったりと、私の財産になっていますね。

参考:TOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」というラジオ番組で桑田さんがおっしゃっていたこと。

・本文中の写真:サザンのコピーバンドをしていたころ